昨日から調子が悪い。
午前中は夫に子供を預け、カフェに行った。
1時間半ほど雑誌を読んで、コーヒーを飲んで、帰宅する。
外は晴れて清々しい天気なのに、昨晩の夫の些細な一言で乱れ燻った心はまだ晴れない。
気分転換になるかしら、と、帰り道のコンビニにふらっと無目的に立ち寄る。
ちょうど、車から1〜2歳児の子供を下ろして店内に入店しようとする母親がいた。
子供、可愛いなと視線を向けたら、その視線に気づかれ横目でチラリと睨まれた。
子供に近づく存在が、危険なものでないかを確認する母としてあたり前の行動。
けれど、調子の悪い弱った心は、私が悪い人間だから睨むのだ、と落ち込み軽くどんよりする。
店内を一周したが、欲しいと心が動かされるものはなかった。
夫にお土産を買って帰ろうかと、仲直りの体で何か買って帰ろうかと、思ったが、どれを買えばいいかわからなかった。
何も買わずにコンビニを出た。
帰宅すると夫が子供の世話をしていた。
夫婦の食事は互いにレトルトで済ませる。
滅多に食べられない、大好きなパスタ。
それでも心は晴れなかった。
午後も夫が子供を見てくれた。
何もする気が起きない。ぼーっとしてしまった。
5分ほどでできる、おやつだけ作った。
たまにくる、この感じ。
毎日頑張っている(つもり)なのに、もう何もかも全ていいやと投げ出し自暴自棄になる感じ。
なんなんだろう。
こういう時は、徹底的に自棄になる。
クッキーを3枚食べる。Youtubeでくそどうでもいい動画を見る。
そしてまた「時間を無駄にしてしまった」と落ち込む。
いい加減やばい、と日課の読書を始める。
『本当の自分を見つける文章術』
夫や子供や友人を元気付けたり教えたり、慰めたり楽しませたりするには、あなた自身が何者かである必要があります。
ではどうしたら何者かになれるのでしょう。
それは、あなたが愛し、大事にだと思うことに真剣に取り組むことによってはじめて可能なのです。
もし子供を音楽家にしたいのなら、あなた自身が真剣に音楽に取り組まなければなりません。学者にしたければ、あなたがしっかり勉強しなさい。正直な人間にしたければ、あなた自身が正直でないといけません。すべてそうなのです。
P142 第十章 家事ばかりしている女性は、書くために手を抜くべきだ
(「大事にだと思うこと」は誤植?)
私は何者かになっていない。
私は子供を音楽家や学者にしたいとは思っていない。
ただ、自分の力で生きていける人になってほしいと願った。
自分自身がそれを、できていない。
自分自身ができていないことを、子供にはそうあれと願うのは、やはりお門違いなんだろうな。
昨日も、自分の時間をとることに罪悪感が募る、今日も何もできなかったと落胆する日々があると泣いたばかり。
自分の時間をとれて、けれど、とったらとったで苦しいなんて。
自分の時間がカケラも取れない人からすると憎まれそう。
けれど、晴れないこの心。
家事と育児だけで過ぎていくこの日々。
大事だと思うことに真剣に取り組めば、晴れるのか。
夫や子供や友人を元気づけるために、人にいい影響を与えるために、何者かになるために、自分の時間を正々堂々ととって、何か大事だと思うことに真剣に取り組めばいいらしい。